2009年6月14日日曜日

科学と裁判 足利事件から

菅家さんが逮捕された翌日の朝日新聞1991年12月3日朝刊14版には「スゴ腕DNA鑑定」という見出しがある。「100万人から1人絞り込む能力」という中見出しがついているが、本文には「血液鑑定と併用すれば、百万人の中から一人を絞り込むことも可能とされ」と書いてある。
当時のDNA鑑定技術を、技術的には、絶賛しているようである。なお、当時からプライバシーの観点では問題視はされていたようだ。
さて、朝日新聞2009年6月5日朝刊14版では当時のDNA鑑定に関して「制度の低さが問題視されていた」と書いている。過去の新聞を読む限り、そのような問題を朝日新聞が気付いていたようには思えない。つまり、多くの人間が当時のDNA鑑定を信じきっていたのではないか。

今回疑問に思ったのは、新しい科学的知見や技術が生まれるたびに、裁判をやり直すのだろうか、ということだ。例えば、公害問題で新しい技術が生まれるたびに、資料を分析していくのだろうか?地層を調べる技術が発達するたびに、原子力発電所の設置の妥当性を調べるのだろうか?
分析の精度は上がっていくだろう。では、一体、どの段階で決定するのだろうか?

追記:
朝日新聞1991年12月2日朝刊14版によれば、菅家利和容疑者(注:当時の表記)は
・「パチンコにも行かず、午後三時以降ずっと家にいた」が熱心なパチンコマニア
・自宅には女性の人形や女児を扱ったビデオを所有
・今年三月に幼稚園を解雇されて以来無職
・かなり以前に結婚歴があるが、一ヶ月ほどで離婚
だそうだ。
朝日新聞1991年12月2日夕刊4版によれば
・一昨年まで保育園で送迎バスの運転手をしていたが、無断欠勤を理由に解雇
・幼稚園の運転手になったが、警察の内偵捜査を知った園により解雇
だそうだ。

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