2008年9月30日火曜日

野依さんの研究室

野依良治氏を批判するのではなく、数学科といかに違っているかを述べるだけである。

日経2008年9月の私の履歴書は野依良治氏だった。9月19日は野依氏の研究室の様子を紹介している。この文章を読んでいると、いかに数学科が他の研究室と多くが違っているかがわかる。逆に、自然科学系の他の学科から見れば、少し違うという程度なのだろう。

「常に複数の主題を用意し、それぞれを助教授や助手に担当してもらい、学生や博士研究員が実験を分担する体制をとった。」
「若い人たちの実験結果をもとに、良い論文を書くのは私の責任だ。」
研究室を主宰する教授は自分では研究しないようだ。この書き方ではそのようにしか読み取れない。助教授ですら自分で研究テーマを設定できないようである。数学科は学生が何をやればいいのかわからないときは先生が論文やテーマを与えるが、博士以上なら自分で興味のある方向に考えていく。講座制が緩やか、もっと言えばないようなものなので、助手の先生だろうと好き勝手に研究テーマを決めて研究している。
2つ目の引用からは、研究成果とは実際にやったことではなく、そのテーマを設定することが重要であるとの印象を受ける。自分で結果を出したのに、論文を書くのは教授なのだろうか。このようなことを成果の横取りとは言わないのだろうか。

繰り返すが、私の批判は野依氏批判ではなく、このような研究活動は数学科とは大きく異なっており、興味深かったというだけである。

批判というわけではないが、意味がわからなかった部分は以下である。
「研究とは思考と行動、人がするものだ。「コンピューターに考えてもらい、ロボットに働いてもらって答えを出す」現代の研究傾向に違和感をおぼえる。」
野依氏の研究室の形態では、命令通り結果を出すロボットが重宝されるのではないかと思う。そして、現代の研究傾向批判をしているが、そもそもこんな思想でやっているのだろうか?

「私の研究の意義は科学哲学的に、より慎重に評価されるべきだと信じている。」
科学哲学的とはいかなるものか?

野依氏の文章は一ヶ月間通して読むと、こんなすごい人たちが周りにたくさんいたという話が多い。しかし、立派な研究者も他分野からすればすごさはわからない。自分がいる世界はみんな知っていると勘違いしているなら問題だ。そんなことはないだろうけど。

2008年9月10日水曜日

スーツ

友達がスーツを着ていたので、「どっか行くの?」と訊いてしまった。スーツを着ているのが珍しいような職場なんで。