2010年1月23日土曜日

聞いた言葉5

現場での技術革新はすごい。

―鉄鋼業

2010年1月22日金曜日

吉岡斉「原子力の社会史」

「原子力という言葉は少なくとも日本では、もっぱら民事利用分野をさつものと理解されることが多いのである。それは核エネルギー技術の本質的なデュアリティー(軍民両用性)の理解を鈍らせる結果をもたらす恐れがある。」

日本の原子力の歩みを、1939年の戦時中から最近(発行年は1999年)まで丁寧に丁寧に追っている本である。アクターは主に官と電力業界であり、メーカーの動きはあまり追っていない。それでも分量は足りないくらいである。
筆者は原子力に関しては、非常に否定的な立場にいる。最初に宣言しているので、読むほうとしてはわかりやすい。
日本政府は実はあまり関与しておらず、むしろできておらず、経済産業省と科学技術庁がいかに縄張り争いをし、電力業界が当初は言いなりだったが、徐々に経済的な理由から独立していく様子が描かれている。
最後には何故脱原子力なのかを説明している。

今度原子力関係のイベントに行くと同僚に行ったら、この本を貸してくれた。二回読んだ。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2010年1月17日日曜日

真似されないコロンブスの卵

コロンブスの卵は初めてやった人はすごいという意味だ。しかし、やり方がわかってしまえば、誰だって真似ができる。やり方がわかっても真似ができないようなものが重要であると最近考えている。
技術単体では他人がすぐに追いついてくる。だから、技術の組み合わせで売っていった方がいい。
組み合わせでつくられるものは、技術単体よりも大きな問題を解決するだろう。とすると、将来的に有効な組み合わせをつくるには大きい立場からものを見れる必要があって、かつそれを技術単体のレベルまで落とし込めなきゃいけない。

ものをつくる、今それの修行中だけど、とてもとても楽しくてすばらしいことをやっているのだと最近いつも感じる。

2010年1月16日土曜日

勝間和代「結局、女はキレイが勝ち。」

いつも地味な格好であることを誇っていた勝間さんが「カツケン」で急にゴージャスな装いになっていた。どうしたことかと思っていたら、キレイが勝ちだそうです。公認会計士、経済評論家の肩書きはどこへやら、昔の勉強法の本に比べるととても中身が貧弱になった。モテる為だったり、いい男を手に入れる為だったり、目標が昔の勝間本とは全然違う。
巻頭のグラビアで勝間氏が着ている服の入手先を書いていたが、この本の主な対象は20歳代女性だろう。その人たちは勝間氏が着ているような服は似合わないのでは?マガジンハウスはこれがよいと思っているのか???

私は著者を「大学デビューして女友達にオトコにモテる方法を講義するけど、女友達はそんな当然のことはすべて知っているし、しかもみんな彼氏持ちだったというイタイ子」を出版レベルでやってしまった人、と解釈しておりますが、みなさんどう?(勝間氏のブログによれば「セミロングは七難隠す、とか、不倫のリターンは最悪とか、ぶっちゃけトーク満載です。」だそうだが、ぶっちゃけではなく、そんなの当然過ぎて誰も話さないことだろう。)

評価:☆
(1-5で基本は2)

2010年1月15日金曜日

理学と工学の違い

私は理学研究科に属していた。昔の科学哲学では「数学は科学か?」という議論をしていたくらいなので、理学部全体の雰囲気について発言を求められても正直なところ答えたくないのだが、一般概念として答える。そして、文系の人からのよくある質問として、理学と工学の違いが挙げられる。両方とも「理系」に属している。

「理学は真理の追究を求めており、そこの中だけで価値が閉じている。工学はより多くの人に役に立つことが大事と考えている。」

一般にはこの説明で間違いはないと思う。
ただ、最近はちょっとずつ変わってきている。理学でも化学の人の中には製品になるかどうかを考えている人もいて、工学だっていい製品をつくるためにものごとの原理を調べている人がいる。
つまり、私の説明は過去のイメージを引きづった発言であり、この後の注釈をわかってくれないと現状が伝わらない。しかし、初めて私の話を聞いた人は注釈まで注意がまわらないだろう。
私は現状を知っておきながら、悪いイメージの再生産を行っている。「悪い」というのは、この区分が悪いというのではなく、変わろうとしている人たちを部外者が過去の解釈を続けるためだけに抑えつけるという意味である。
もっと広く言うと、私は理学や理系の中では数学科代表、理系以外の中では数学科もしくは理系代表になってしまうのだから、発言する際は私がイメージをつくってしまう力を持ってしまっているという意識を常に持っていなくてはいけない、ということである。学問形式(ディシプリン)によって思考様式、価値観が形成されるのは否定できない。

2010年1月10日日曜日

相田洋「新・電子立国〈1〉ソフトウェア帝国の誕生」

「全員がビル・ゲイツの知識の豊富さと頭の良さに舌を巻きました。」

「電子立国 日本の自叙伝」ではハードウェアの話であったが、「新・電子立国」ではソフトウェアの話が主である。この巻ではマイクロソフトがいかにしてソフトウェア産業における覇権を握っていったかが書かれている。
まず、ビル・ゲイツは技術者としてとても優秀である。高校時代にコンピュータにはまり会社を興す。IBMなど名だたる大企業を相手にしていく。
そして、経営者としても優秀である。いかにして自分達の技術で攻めていくのか、時代の流れの先をきちんと予測している。

この本で面白かったのは、デファクトスタンダードの話だ。NECはインテルのマイコンチップ「0808」の性能をアップして売り出したがちっとも売れなかった。何故ならインテル製と互換性がないからである。結局、NECの販売部門が技術者に「改悪」を要求して、売れることになった。
未だにメーカーはいい製品を出せば売れると考えているが、いい製品とは革新的な性能ではなく、使いやすい製品である。事実上の規格を自分達で作ってしまうことも重要であるが、もう一つ規格策定も重要である。そこに日本は出て行かないといけないのだが、欧米は自分達以外を規格策定会議から締め出し勝手に規格を決め、他者に要求してくる。一度でも「文明」を持ったことがないと、規格をつくって世界中の国々を従わせるという発想はでないのだろうか?

もう一つ、年齢の話。ビル・ゲイツは40歳で世界一の資本家。ケネディは43歳でアメリカ合衆国第35代大統領。
急がないと。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2010年1月9日土曜日

山岸俊男「安心社会から信頼社会へ」

「他人を信頼することが本人にとって有利な結果を生み出す社会的環境と、他人を信頼しないことが有利な結果を生み出す環境が存在すること、そしてその環境はわれわれが作り出しているということです。」

アメリカ人の方が日本人よりも他人に対する信頼感が高いという実験データがある。この理由として、筆者はルース・ベネディクト「菊と刀」を参考にしながら、集団内での非協力行動に対するコントロールが、「恥の文化」の日本人社会では行動が集団内で相互規制されるのに対し、「罪の文化」の西欧社会では罪の意識により個人の内部によって維持される傾向があることを示している。
品質のよしあしがわかりにくいものに関しては、特定の取引先と長く取引する傾向がある。これは長年やっているため信頼できるからである。逆にわかりやすいならばその必要はない。しかし、特定の取引先が本当によい値段で売ってくれているかは別の話である。社会的不確実性の低い相手との取引では取引費用を低下させる一方、機会費用が増加するためである。

一般的な言説を実験によって証明していく過程が非常に面白かった。まさに学者が書いた文章だ。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2010年1月6日水曜日

転職サイトに登録

自分の市場価値を知るために、転職サイトに登録してみた。
まず、自分の能力を書く。そして、「海外で挑戦したい」などの意識に関してのアンケートについて答える。
結果、私は今の年収よりも100万円以上高い価値がついていた。

そんなわけない。これでホイホイ転職してしまうような人はまともな判断ができずに相当追い詰められているのだと思う。

2010年1月3日日曜日

忘年会&新年会

毎年恒例の忘年会(男性2人が料理を作り、女性方をもてなす会)では、4年目にして初のアメ横買出しツアーを成功させた。金目鯛2尾、鯖1尾、蛸、烏賊、餃子を購入した。
今回私が作ったのは、りんごきんとん、納豆いなり、餅明太子グラタン、シメサバ。鯖を1尾さばくのが面白かった。料理長は鯛しゃぶや鍋をつくっていた。毎年2人で後輩に教え込んでいたら、徐々に上手くなっていた。
自己反省としてはいつも作っているものばかりなので、そろそろ新しい段階に行かないといけないと思った。

新年会はりんごきんとん、納豆いなり、餅明太子グラタン。新鮮な鯖が手に入らなかったため、シメサバは断念。

すべての料理で写真を撮り忘れた。