2009年6月30日火曜日

サイエンスカフェ ゲスト:本田美和子さん

サイエンスカフェをしました。ゲストは内科医の本田美和子さんで、自分のからだを守ることについてお話していただきました。
本田さんは医師が病院で患者を待っていることには限界があると考え、みんなに自分の体について考えてほしい、と考えています。そのため、このような場で話すことを大事にしています。
また、本田さんの活動としては、ほぼ日の健康手帳「Dear Doctors」が有名です。これは自分の病気や薬の記録を書き込んでおくことで、自分のからだについて考える機会を創出し、病院では医師とのスムーズな交流を手助けしています。

当日は、本田さんがご自信の活動を紹介された後、参加者との意見交換がなされました。お互いに自分の立場から話し、相手の考えを刺激しあう、これがサイエンスカフェのいいところです。

私は、自分が感染症になった場合に、どのようにすればいいのかで悩みました。家族に言うべきか、同僚に言うべきか。感染症に関して正しい知識が広がっていない現状で職場という不特定多数とも言える場所で自分の病気を話しても大丈夫か。もしも、話さずにしておきながら、何かの拍子に同僚に感染させた場合に、話さなかったことは道義的によくないことなのか。ドイツでは感染症だと知りながら、そのことを話さずに男性に感染させた女性が、危害を加えたということで逮捕されたそうです。

私がサイエンスカフェに関わったのは、初めてでした。予想以上に面白かったです。何事も自分でやってみるのがよいですね。

2009年6月29日月曜日

木下是雄「理科系の作文技術」

「初心の執筆者にとっては、自分の書こうとする文書の役割を確認することが第一の前提である。」

理科系の論文や文章をいかにして書くのか、について特化した本である。著者は物理学者で、若い研究者・技術者や学生を対象としている。
この本は研究の仕方に関してはあまり説明がない。あくまで、文章を書いていく際にいかにわかりやすく書いていくかを述べている。
読みたがえがなく、読み返さないように書くにはどのようにすればいいのか、基本的な事柄が多く紹介されているのは、やはりそれらが重要だからだろう。

追記:
「必要ギリギリの要素は何々かを洗いだし、それだけを、切りつめた表現で書く。一語一語が欠くべからざる役割を負っていて、一語を削れば必要な情報がそれだけ不足になる――そういうふうに書くのが理科系の仕事の文書の書き方の理想だ。」
数学の証明こそが理想的な理科系の仕事の文書のようだ。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月28日日曜日

澤田昭夫「論文の書き方」

「研究する、論文を書くというしごとの第一の課題は、なにについて研究し、書くかというトピック選びです。」

この本は「論文のレトリック」よりも上位概念での論文の書き方を説明している。トピック選び、資料収集や整理、論文書き、そして本の読み方や、話し方まで網羅している。歴史学という分野に特化している気もするが、自然科学でも十分に使えることを書いてあるので、学問や研究を行う人は全員読むべきである。
この本の対象は研究を行う人間だけではない。会社員も資料や報告書を膨大に書かなくてはならない。これらでも、読む対象は誰か、何を伝えるべきか、何のために調べて報告するのかは考えながら書かなくてはいけない。
何故早くこのような本を読まなかったかと嘆きたくなる。

追記:
「研究の過程で、どうしてもさらに知識を広め、深める必要があるのに気がつくでしょう。自分の能力の限界というのは、ある程度相対的なものです。何について知識が足りないか、常に自問しながら、隣接学問分野や新しい分野の学習を体系的に進めていけば、能力の限界はある程度まで克服されるはずです。」
こういう言葉に救われる。そして、救われたら自分で進まなきゃ。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月27日土曜日

金谷治訳注「孫子」

「勝利の軍は開戦前にまず勝利を得てそれから戦争をしようとするが、敗軍はまず戦争を始めてからあとで勝利を求めるものである。」

いかにして戦争に勝つかという兵法の書であるが、実際は好戦的ではない。そして、武器と武器でわあわあと戦う戦争だけが対象ではなく、もっと多くの戦い方について述べている。
この本は、漢文、読み下し文、口語文で成り立っているが、私は口語文しか理解できなかった。自分の教養の無さが悔しかった。

追記:
戦争が長びいて国家に利益があるというのは、あったためしがないのだ。
ブッシュさんへ送ります。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月26日金曜日

日経新聞2009年6月26日夕刊1面

アイセックOBでIEA事務局長の田中伸男さんがアイセックについて述べている。

2009年6月20日土曜日

エコポイント事務局の謎

書面でのエコポイントの申請には、エコポイント事務局に書類などを送る必要がある。(http://eco-points.jp/EP/apply/index.html私には、インターネットによる申請に場合に書類を送る必要があるのか判別できなかった。インターネットによる申請なのに申請書のみインターネット上で記入できるというようにしか読めない。「インターネットによる申請」という見出しはいかがなものか?)この事務局の住所は不明であり、送付先は「〒109-5085 郵便事業株式会社 新東京支店留グリーン家電エコポイント申請係」である。一体、住所を隠さなければならない理由はなんであろうか?あくまで参考だが、外務省や内閣府が所管している財団法人は所在地を公開している。
http://www.mofa.go.jp/Mofaj/annai/shocho/koeki/ichiran3.html
http://www8.cao.go.jp/koueki-co/co-list.html

事務局に電話をしてみた。(ナビダイヤルで通話料は10円/26秒である。)

Q, 何故、局留めなのですか?
A, 確認してまいります。
(しばらくしてから、)国からそのように指定されているからです。
Q, 働いている人は誰なのですか?
A, エコポイント事務局のものが働いております。
Q, どこの省庁出身とかはないのですか?
A, そのようなことはお答えしかねます。
Q, 監督官庁はどこですか?
A, そのようなことはお答えしかねます。

全然、わからないぞ、エコポイント事務局!

追記:(2009年6月28日)
ここに書いてあった。
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=11188
このページある一般社団法人環境パートナーシップ会議が何をしているのかはHPにある情報だけではよくわからない。

付記:
エコポイントは環境のためだと思われているが、実際は「地球温暖化防止、経済の活性化、地上デジタル放送対応のテレビの普及を目的」としている。(http://www.env.go.jp/policy/ep_kaden/faq.htmlより。このサイトは環境省にあるが、最下部には3つの省が並んでいる。)エコポイント制度は環境省、経済産業省、総務省の3つが手を組んで行っており、3つの目的は各省の利益になるようになっている。

2009年6月17日水曜日

レイチェル・カーソン、青樹簗一訳「沈黙の春」

「このかがやかしい勝利がおさめられたのは、予防と治療という二つのことがあったからだ。」

世界中で農薬などの化学薬品が使われたせいで、生物は死に絶えてしまい、「沈黙の春」を迎えてしまった。いかに人間が化学薬品を使ったせいで生物が死滅しているのかが述べられている。環境破壊に関して考えているならば、まず読むべき本である。
上述した引用は伝染病の広がりをいかにして抑えたのかという過去の事例を紹介している部分である。現在、発癌物質は人間が撒いた薬品により人間に入ってきている。ならば、それらを撒かなければいい。病気を治すのは華やかであるが、病気にならないようにする方がはるかに安上がりである。
こんな簡単なことであるが、Jerome Ravetzが2006年に発表したThe No-nonsense Guide to Scienceの中では「予防はSHEE科学である」、つまり女性がやるものであり、今まで男性が行ってきた科学とは異なっていると書いてある。現在の学問世界の価値判断基準をつくってきた男性が権力を持っている限りは、女性の科学をやるのは、研究費がもらえないという経済的な観点から、大変である。
昔からあんまり変わっていない。でも変わった方がいい。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月16日火曜日

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター「Communication-Design 1」

「CSCDとはいかなる組織であり、いかなる使命をもっているのか、何ができる可能性があるのかを問い直すことを通して、大学が発行する紀要ではない新しいタイプの書物を作ることに落ち着きました。」

とにかく不思議な本である。
これは大学の紀要である。一般に大学の紀要と言えば、一般の人は読まずに、その世界の専門家のみが読むものである。つまり、読む人だけ読む。なので、あまり装丁にこだわることはない。
一方、この冊子は表紙が和紙でできている。表紙に題名は書いてあるのだが、ぱっと見では気付かない。他に文字はない。つまり、この本のようなものが置いてあっても、一体何なのかはわからない。しかし、触りたいと思ってしまい、開きたいと思ってしまう。
内容も今までの学問という点からすれば一貫性はない。デザイン論からサイエンスショップまで書かれた紀要は世界初ではないだろうか。しかもカラーページが多くて、読まなくとも見ているだけで楽しい。
では、本当に一貫性はないのか?デザインはコミュニケーションになりえるのかという問いもあり、またサイエンスショップは市民と大学のコミュニケーション手段とも言える。
今までの学問に対する考え方がいかに自分の中で硬直していたのか、そしてこれから学問はどのような方向に発展しうるのかを私は考え始めた。読者に新しい観点を提供してくれるのがよい本とするならば、間違いなくこの本はよい本である。

評価:☆☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月15日月曜日

最相葉月「絶対音感」

「絶対音感とは特定の音の高さを認識し、音名というラベルを貼ることのできる能力であり、音楽創造を支える絶対の音感ではない。だが、それがさまざまな能力と複雑に絡み合い、優れた表現として賞賛された結果、初めて才能を支える一つの道具として浮かび上がるのではないだろうか。」

絶対音感とは何か、その疑問を科学的、歴史的に追い、そして絶対音感を持った人間、持たなかった人間がどのような人生を送っているのかを調べた本。音楽や絶対音感、そして感覚というものをいかにして科学がとらえようとしているのかを紹介している。また、日本に絶対音感の教育制度がどのように持ち込まれ発展し、現在の日本人音楽家に現れた弊害まで示している。音楽家からは、絶対音感についてどのように感じているかを聞き出している。
文庫本で400ページ以上である。この取材量はすごい。文章が上手いので、その量でも一気に読める。

追記:
私は昔から疑問があった。ラの音が440ヘルツと言われているが、実数上で一つだけ実数を選んだとき、有理数を選ぶ確率はルベーグ積分で0である。つまり、440ヘルツぴったりの音を出すことは不可能である。440ヘルツの多少の誤差を入れているならば絶対ではないと感じていた。
この本によれば、人間の感覚はそこまで鋭敏ではなく、500ヘルツくらいの周波数域では聴き分けられる音の差は1ヘルツ弱だそうだ。長年の疑問が解消した。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月14日日曜日

科学と裁判 足利事件から

菅家さんが逮捕された翌日の朝日新聞1991年12月3日朝刊14版には「スゴ腕DNA鑑定」という見出しがある。「100万人から1人絞り込む能力」という中見出しがついているが、本文には「血液鑑定と併用すれば、百万人の中から一人を絞り込むことも可能とされ」と書いてある。
当時のDNA鑑定技術を、技術的には、絶賛しているようである。なお、当時からプライバシーの観点では問題視はされていたようだ。
さて、朝日新聞2009年6月5日朝刊14版では当時のDNA鑑定に関して「制度の低さが問題視されていた」と書いている。過去の新聞を読む限り、そのような問題を朝日新聞が気付いていたようには思えない。つまり、多くの人間が当時のDNA鑑定を信じきっていたのではないか。

今回疑問に思ったのは、新しい科学的知見や技術が生まれるたびに、裁判をやり直すのだろうか、ということだ。例えば、公害問題で新しい技術が生まれるたびに、資料を分析していくのだろうか?地層を調べる技術が発達するたびに、原子力発電所の設置の妥当性を調べるのだろうか?
分析の精度は上がっていくだろう。では、一体、どの段階で決定するのだろうか?

追記:
朝日新聞1991年12月2日朝刊14版によれば、菅家利和容疑者(注:当時の表記)は
・「パチンコにも行かず、午後三時以降ずっと家にいた」が熱心なパチンコマニア
・自宅には女性の人形や女児を扱ったビデオを所有
・今年三月に幼稚園を解雇されて以来無職
・かなり以前に結婚歴があるが、一ヶ月ほどで離婚
だそうだ。
朝日新聞1991年12月2日夕刊4版によれば
・一昨年まで保育園で送迎バスの運転手をしていたが、無断欠勤を理由に解雇
・幼稚園の運転手になったが、警察の内偵捜査を知った園により解雇
だそうだ。

2009年6月13日土曜日

澤田昭夫「論文のレトリック」

「「何をいおうとしているのか解らない、どういう問題があってそれをどう解決したのか解らない」論文こそ「だめな論文」であります。よい論文とはその逆で「何をいおうとしているのかが一目瞭然、主問・副問が何であるかがはっきりしており、それに対して十分確証ある答えを与えている論文、つまり統一、連関、展開において優れた、明快な論文」です。」

論文の書くためには、何のために論文を書くのか、つまり問いが重要である。その問いの見つけ方から、論文の構造、そして論文を書くための読書の仕方やノートのとり方まで丁寧に書いてある。
明快な論文を書くようにと言っているだけあって、とてもわかりやすい。
文章を書く際にはまずここに書いてあることを復習してから書くのがよい。ずっと手元においておきたい本である。

評価:☆☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月6日土曜日

キェルケゴール著、斎藤信治訳「死に至る病」

「しかし我々は冒険さえすれば容易に失うことのないもの(よしほかにいかに多くのものを失おうとも)をかえって冒険しないために怖ろしいほどやすやすと失うことがありうるのである、――すなわち自己自身を。」

死に至る病とは絶望のことである。しかし、絶望では死ぬことはない。死ぬに死ねないことが絶望者の真実の姿なのである。
絶望により精神が腐っていってしまう。それも気付かぬ間に。

などと言っておきながら、全然理解できませんでした。第拾六話のサブタイトルに使われていたから興味を持って読んだけど、全然分からん。でも、面白いとは思った。分からないけど面白いと思えたのが、幸せだなと思った。
評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月5日金曜日

シェイクスピア、斎藤勇訳「リア王」

「「これが最悪」などと言える間は、まだ実際のどん底なのではない。」

娘の甘言に惑わされたため、荒野で暴風雨にあわなくてはいけなくなった可哀想なリア王。ケント伯と道化との道中が痛々しい。
何で、コーディリアはあんな最期を迎えてしまったのだ。シェークスピアは因果応報をよく書いているのに、コーディリアに関してはまったく当てはまらず。これで当時の観客の満足を得られたのかな。

評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)

2009年6月4日木曜日

シェイクスピア、三神勲訳「マクベス」

「人間なんてうろちょろする影法師、あわれな役者だ、
 自分の出番だけ舞台に出て、どたばたやるが、
 それっきり消えてしまう。人生はうす馬鹿のたわごとさ、
 むやみに泣いたりわめくだけで
 まるっきり無意味だ。」

マクベスを唆すマクベス夫人の方が悪者のように見える。
夫人の勧め通り凶行を重ねていくマクベスはやめようがなかったのかな。

評価:☆☆
(1-5で基本は2)


2009年6月3日水曜日

経済活動>ニセ科学?

日本経済新聞2009年5月31日エコノ探偵団のテーマはコラーゲン。
コラーゲンを「食べてきれいに」という見出しがある。日本ハムの研究者の話として「食べた後に体内でどう作用するのかは分かっていませんが、肌の水分量を保てる実験結果が出ています」と書いてある。

実際の話、コラーゲンはプラセボである。つまり、美容効果は認められていない。体内でコラーゲンは多く作られているが、体外から摂取した場合にはそのコラーゲンを活用できず排出している。
昔電機業界がマイナスイオンを仕掛けたように、コラーゲンを誰かが売り出そうとしているに過ぎない。しかし、日経はこのことを報じない。あくまで日経は経済活動を補助する立場にいるという姿勢は崩さないようだ。そんなに経済活動とは重要なものなのであろうか?

2009年6月1日月曜日

小飼弾「小飼弾のアルファギークに逢ってきた」

その世界(まつもとゆきひろをMatzと言うような人たちの世界)では小飼弾は有名なようだが、私は一切知らなかった。その小飼弾と世界中のコンピュータエンジニアとの対談集である。
一流のコンピュータ技術者になれば、どこの世界でも渡っていけるのだろう。一介の技術者として世界を変えるような製品をつくりたいなと思った。

評価:☆☆
(1-5で基本は2)