2007年12月27日木曜日

IBM イノベーションの鍵を握る数学

IBMのHPに面白いもんがあった。
http://www-06.ibm.com/jp/lead/ideasfromibm/math/index.shtml

視野の広さはさすがIBM。

専門用語の濫用

専門用語の広義的活用は問題であると私は考える。
現代の生命科学分野ではフェロモンは昆虫や麝香鹿にはあるが、人間にはないとされている。しかしながら現在フェロモンは「色気がある」というような意味が使われている。ある神経生理学の科学者は迷惑がっていた。
数学においても濫用がある。昔野球の継投策で「勝利の方程式」という言葉があったが、どこにも未知数がないので方程式ではない。等式か関係式であろう。また、「確率」と「割合」の違いがわかっていない人も多い。
美学専攻の友人を文系代表として相手にし文句を言ったところ、文系が何故意味を広げて使うのかがわかってきた。
その、言葉がある程度社会的共通理解を持つ言葉であり、その場で議論するのには差支えがないと考えているからだ。議論中に齟齬をきたし言葉の定義まで戻る必要が発生した場合に戻ればいいと考えている。逆に何故理系が広義的活用を好ましく思わないかというと、言葉は定義された意味のみで使わないと後々失敗すると考えているからである。つまり、失敗を未然に防ごうとしている。
どちらも一理あるので一概には否定しづらい。ただ、数学は言葉を厳密に定義して議論しているので、濫用によって数学のこの態度を勘違いされると困る。

2007年12月14日金曜日

かてきょ10

作図をする必要があったので、教え子が部屋から出てコンパスと定規を取りに行くと言う。勉強部屋の扉を開いて居間に向かって「お母さん、コンパスと定規を持ってきて。」と言った。そして母親が持ってくる。
どちらを注意すれば過干渉がなくなるのか悩む。

2007年12月11日火曜日

数学科のイメージを形成する

とあるイベントに行った。様々な分野の理系院生が自分達の研究及びその環境について語っていた。数学科のD1は数学について持論を語っていた。

「私がやっているゲージ理論は役に立たない。」
役に立たないなどと言うからどんどん研究費を削られているのではないか。

「ゲージ理論は物理学者も興味を持って、数学者と競いながら研究している。」
あれ、さっき、役に立たないと言っていたような?

「数学の研究には金がかからない。ノートとシャーペンだけだ。」
論文、雑誌はただではない。人的交流も研究を進める上では重要である。他の実験系理系に比べれば費用はかかりにくいのは確かであろうが、これでは年間に文房具代だけで研究できるような印象を与えかねない。

会場から「だったら、何故数学科が大学にあるのですか?お金がいらないなら、大学でやる必要なんてないでしょう?」と質問が出る。
発表者が答えられないので、他の聴取者が「集まる場として必要なんです。学ぼうと思ったときにどこに行けばいいのかわからないより、ここに行けば学べると分かっていた方がよいでしょう?」と回答。
その通りだ。

「数学科自体が減少傾向である。」
役に立たないものが減少するのは当然では?

「現在、全国的に数学科から数理科学科に変わりつつある。学科の名称は自己のアイデンティティーの維持の為に重要である。数学科は数学科であってほしい。」
「私は他の学科の院生と話すことで数学の新たな胎動を感じた。」
数学が他分野との交流の中で新しい数学を生み出したいのなら、数理科学科になるべきでは??

「現在数学がブームのようになっている。これはいい傾向だ。しかし、伝える人が数学専攻者以外である。これは問題だ。数学者が伝えるべきだ。」
以前から数学者がやろうと頑張ってきたが、あまり成功しているとは思えない。何故数学者が伝えるべきか、と会場から質問が出た。
「数学を研究したことがある人が伝えるべきだ。」
え~っ???私には理解不能。。。数学の研究だけが特異であると発表者は考えているようだが、そんなに特殊なのだろうか?

私の意見も数学科の総意ではない。しかし、数学科がこのような場所に立って話すのは少ないため、この発言者が数学科全般のイメージとして参加者に記憶される。本人は「数学科はパラダイスにすべきだ」と現状をまったく鑑みずに逃避のような発言ばかりを繰り返し、「数学科は数学を愛する変人だらけ」というイメージをあえてか作ろうとしているように見えた。はっきり言って、困る。もうちょっと自分の社会的位置を考えてほしかった。

追記:
この他にも、生物系の院生が「研究をできない研究者がアウトリーチ(自分の研究成果を専門分野以外の人に発信すること)をしても意味がない」と発言していた。
研究のプロと発信のプロは違うだろう?研究ができない人間はダメとでも言いたげだった。ふざけんな。中高の教員は一生懸命理科や数学への入り口を提供しているではないか?

2007年12月2日日曜日

理系の政治家

後輩にポスドク問題を講義。
理系でもいろいろなキャリアがあるということで、政治家の例を出してみた。

鳩山由紀夫(東京大学工学部計数工学科卒)
菅直人(東京工業大学理学部応用物理学科卒)

あれっ、理系は政治を担わない方がいいってことになるのか。。。???

2007年11月13日火曜日

おでん


具は、昆布、大根、ちくわ、ちくわぶ、あつまあげ、がんもどき、はも天、板蒟蒻、牛スジ豆腐あげ、はんぺん、卵、ごぼう巻き、鶏つくね。

金沢、大阪、岡山、鳥取は全員、牛スジは必須と言いますが、東京もんは知りません。つゆは昆布と鰹節で出汁をとり、濃口醤油です。岡山はちくわぶを食べたことがなかったようです。

立冬を越えました。冬支度を始めましょう。

2007年11月9日金曜日

かてきょ9

現在、中学三年生の男の子を教えている。受験前である。
まず、私は「今日は何をやる?」と訊く。生徒が「今日はこのプリントをやってから、教科書を進めて予習をします。」と言う。私は一切カリキュラムを作る気がない。相手が何をしたいかを要求できるようになるのが大事だと考えている。
この会話の後に、母親が入ってくる。「今日はこのプリントのわからない部分をやってから、残った時間で教科書を進めて下さい。」と私に向かって言う。
それは、もう聞いた話だ。
母親からすると、息子には説明する力がないから私が伝えなくてはと思っているようだが、息子はそれくらいのことはできる。
母親には過干渉の不要性、そして息子には親離れの方法を教えなくてはならないと思う。中学生男子は自分一人でで何かをしたくなって、そして意外とできるもんなんだ。母親はそれを見守ってやればいいんだ。

2007年11月7日水曜日

理学と工学の違い

私は理学研究科に属している。昔の科学哲学では「数学は科学か?」という議論をしていたくらいなので、理学部全体の雰囲気について発言を求められても正直なところ答えたくないのだが、一般概念として答える。文系の人がイメージしにくいものとして、理学と工学の違いが挙げられる。両方とも「理系」に属している。

「理学は真理の追究を求めており、そこの中だけで価値が閉じている。工学は製品になることが大事と考えている。」

一般にはこの説明で間違いはないと思う。
ただ、最近はちょっとずつ変わってきている。理学でも化学の人の中には製品になるかどうかを考えている人もいて、工学だっていい製品をつくるためにものごとの原理を調べている人がいる。
つまり、私の説明は過去のイメージを引きづった発言であり、この後の注釈をわかってくれないと現状が伝わらない。しかし、初めて私の話を聞いた人は注釈まで注意がまわらないだろう。
私は現状を知っておきながら、悪いイメージの再生産を行っている。「悪い」というのは、この区分が悪いというのではなく、変わろうとしている人たちを部外者が過去の解釈を続けるためだけに抑えつけるという意味である。
もっと広く言うと、私は理学や理系の中では数学科代表、理系以外の中では数学科もしくは理系代表になってしまうのだから、発言する際は私がイメージをつくってしまう力を持ってしまっているという意識を常に持っていなくてはいけない、ということである。学問形式(ディシプリン)によって思考様式、価値観が形成されるのは否定できない。

2007年11月1日木曜日

3分の1が博士課程に進学する2

ポスドク問題について話し合うイベントに参加。そこで、持論を展開してみる。

「私の周りは3分の1が博士に行きます。しかし、その中で実際に研究者になれるのは1人か、多くて2人でしょう。夢を追い続けるのは勝手です。しかし、いつかは自分の能力を考えて夢を変えなければなりません。私はもっと、進学ではなく社会に出て行く人間が増えていくことを望んでいます。」

4、5人から拍手をもらう。その中の女性が発言。

「私もそう思います。私は学部を出て、一旦社会人になって大学に戻って、これから小学校の教員になります。私は高学歴の人間が初等、中等教育機関に進んでいくのが、博士後のキャリアパスとして有効だと思います。」

イギリスでは、逆に、高学歴の人が産業界ではなく教育界に行ってしまい問題になっているらしい。

私の発言は過激だったため、もちろん反発があった。

「ぼくは工学部です。ぼくの先輩で博士に行ってがんばっている人がいます。そういう人を否定するのだけはやめてください。」

私は否定していない。ただ、がんばっても無理という壁があるのは事実であることは理解しなければならない、と主張しているだけである。

私の横にいた文化人類学の先生がぼそっと、「あいつは甘えとるな」と私につぶやく。がんばりだけで認めてもらえるのには年齢的に限りがあり、それが「学校でがんばってきた人」はわからない傾向がある。

終了後、アート系の人に「君の話、よくわかるよ。」と言ってもらう。アートでも同様の傾向があるようだ。

2007年10月30日火曜日

マイナビ2009

「人生の半分を過ごす会社。
 いいかげんには決められない。」


こんなことを新卒求職者に言っておいて、3年後には「君の本当にやりたいことは何?」「スキルアップをしませんか?」などと囁き、転職をさせて手数料収入を稼ごうとするのだから、毎日コミュニケーションズという会社はとんでもない。いいかげんに決めている方が転職させやすいくせに。

2007年10月16日火曜日

ここの博士は止めました

博士を止めて教員になることにしてからは、行動が早い。早速コネを最大限に使おうと方々に電話しているが、今の時期はほとんど採用がないらしい。でも、数学以外のことをやって、それはそれで楽しんでいるようだ。
三人で昼食を取っていたら、もう一人もこのまま博士進学はしないと言い出す。先生が他の大学に移られるから、彼も移動しないといけないらしい。その先生についていくのか、それとも今の大学から近いところに別の先生もいるからそこに行くのか。
数学は実験器具が要らないから理系の中ではどちらかと言うと移動しやすい分野だと思う。また、指導教員はほとんどの場合一人だし、普段は個人作業なのでまわりがどういう人間であるのかはさほど問題ではない、と思われている。しかし、まわりの雰囲気というのは私は非常に大事だと思う。分野がまったく違うにしろ同期や近い学年が何を目指しているのか、そして数学教室及び大学としての雰囲気というのは大学ごとでかなり異なる。
「先生が急に言うから、どうしようかと思うよ。」

ふと、思う。
この人たちと一緒にいる時間は意外と短いのかもしれない。

2007年10月15日月曜日

ミスチルは客層がよい

朝日新聞2007年10月13日。

-------------------------------------------------------------
長居競技場にミスチル効果 ライブ2晩で年間収入の8割
2007年10月13日21時26分

 大阪市が所有する長居陸上競技場(同市東住吉区)で初めてロックグループ「ミスター・チルドレン」のライブを開いたところ、2晩で年間の半分以上の収入があった。市営地下鉄の乗降客数も激増し、合わせて6400万円を超える増収。思わぬ「ミスチル効果」に、市は「次はサザンオールスターズか、ドリームズ・カム・トゥルーを」(担当者)と、2匹目のドジョウを狙う。

 競技場はJリーグ・セレッソ大阪の本拠地で、8月25日から開催された世界陸上大阪大会の会場にもなった。だが、住宅地が隣接しており、騒音を懸念してこれまでライブは開かれなかった。「ミスチルは客層がよい」という評判などから、開催に踏み切ったという。

 ライブは9月29、30両日に開催され、入場者数は計約8万人。市に支払われた施設使用料は4800万円で、05年度の同競技場の施設使用料収入(7400万円)の65%、06年度(5700万円)の84%だった。最寄りの市営地下鉄御堂筋線長居駅の延べ乗降者数は、2日間の合計で前週の同じ曜日と比べて8万3000人増えた。

 セレッソのサポーターからは「芝が傷むのでは」という声も寄せられたが、心配していた騒音に対する苦情はほとんどなく、「ベランダでビールを飲みながら聞いた」など、周辺の住民も歓迎ムードだったという。

-----------------------------------------------------------------


そうなんです、ミスチルは客層がよいのです!!

30日は私も行きましたが、MCで桜井さんも「この競技場でライブをするのはミスターチルドレンが最初」と言っていました。「これからB'zさんやサザンさんがライブをしたら、「ここはミスターチルドレンがやったとこか」と思うのかな。」(要約)とも言っていました。市の担当者とはちょっと違うね。まあ、別にいいんだけどね。
ちゃんと規制退場もしたファンも多かったしね。いくらアナウンスしても規制退場をしなかったことは認めます。"HOME" TOUR 2007-in the field-では過去の曲を結構演奏しました。ファミリー向けのチケットを発売していたことからも昔からのファンが子供連れで楽しめるのを目標にしていただろうと推定されます。だから、子供連れから退場できるように規制退場をしていたのですが、それを守らない人がいて嫌だった。
市営地下鉄がとても儲かったように書いていますが、30日は「昨日は地下鉄の駅がとても混雑して1時間待ちだったのでみなさんJRを使ってください」とアナウンス。地下鉄は儲かったけど、パンクでした。私はJRで帰りましたが、みんな行儀良く歩いていて、決してまわりに迷惑をかけるような人はいませんでした。アナウンスでも「ミスターチルドレンのファンはよい、と聞いております。」と何度も述べていました。

2007年10月12日金曜日

博士は止めました

講義に行こうと学内を歩いていたら、友達とばったり。「道を変えることにしたよ。」と言うので、複素幾何から代数幾何に変えるのかと思っていたら、博士に行くのを止めたと言う。驚いてずっと話を聞いたが短い時間だったので、昼食を一緒にとることにした。

学食で話を聞く。
もともと彼は博士に行っても高校の教員になろうとしていた。だから、研究者になるのを止めたというよりは、教員になるのを早めたということになる。2日前にふと就職課に行ったら、30歳までに専任教員になっていた方がいいと教えられたそうだ。博士修了が27歳、教員と博士を同時に行うのは大変だから1年間勉強するとして28歳、一度で合格するのは難しいから29歳。ぎりぎりだ。それなら早めに教員採用試験や私学適正を受けた方が仕事を得るという観点ではよい。2007年問題と言われているが、それに乗るためには早めに非常勤でもしていた方がいい。教採に落ちた人から非常勤への名簿に登録でき、それが常勤になる際に強いアピールになる。
「最近、研究が行き詰ってね。」
これが弱気にさせた原因の一つでもあるらしい。

「昨日はいろいろあってお風呂に入らなかったよ。」
それは、困る。

2007年10月10日水曜日

数学モデル

「爆笑問題のニッポンの教養」で渋滞学の西成活裕先生が数学モデルを作って渋滞問題を解消しようとしていた。この先生、航空学科出身だが「様々な物理や数学を勉強した」そうだ。「このときの幅広い勉強が今になって色々役立っている」とも書いてある。
私は数学を勉強しているが、他のことはとんと知らない。数学がどんなように使われるのかというのも学部生に教えていくのも大事なのではと思った。実際に何に活用できるのかがわからないと勉強の意欲が湧かない人もいる。もちろん、数学の中で閉じていることに不満を感じない人もいるので、全部が全部その道に進めとも思わないが、私は今までそんな教育を受けた覚えがないので、そういう話も聞いてみたかったと今になって思う。実は聞いたが昔から応用に関してあまり興味がなかったので忘れている可能性もある、というか大。数学科でもちゃんと数学モデルをつくることを考えて解こうとしている人、特に微分方程式や確率・統計系、もいるのだから、代数が一番好きだった私自身のせいであるように書きながら思えてきた。
なお、ギボンズのモード論によれば、応用を見越したものだけが重要という前提は間違いであるというのも付記しておく。

追記:「爆笑問題のニッポンの教養」は今年一番面白い番組だと思う。


爆笑問題のニッポンの教養
http://www.nhk.or.jp/bakumon/

西成総研HP
http://soliton.t.u-tokyo.ac.jp/nishilab/

2007年10月7日日曜日

統計学を使った経済学

「統計学を使って、政策評価や提案を行っているんですよ。」と経済学部の後輩がゼミの内容を教えてくれた。何をやっているかよりも気になったことを訊いてみた。「統計学を使ってというけど、統計学を使わない経済学なんてあるのか?」あるらしい。
まだ、あるんだ、そういうの。
まあ、数学に酔って自分が何をやっているのかわからずに、数字さえ出せば科学的だと思っている人もいるから、数学を使わない経済学を全否定はしないけど。(「数学に酔って」というのは、「数学に振り回されて」という意味。)

2007年9月30日日曜日

欺瞞団体経団連とは?

YOMIURI ONLINEからの引用。

-----------------------------------------------------------
大学院修士1年の採用活動、経団連が自粛呼びかけへ

 技術系を中心に修士(大学院修士課程修了者)の企業への就職が増える中、日本経団連は27日、会員企業に対し、修士1年時に広がる大学院生の採用活動の自粛を呼びかける方針を決めた。

 選考のルールがあいまいなため、採用活動が1年時の秋から、半年近く続くこともあり、「浮足立って研究に集中できない」などと大学から批判が出ていた。経団連は、倫理憲章に大学院生の新卒採用についても、「学事日程の尊重」を明記して、各企業に適正化を求める。

 経団連の今春の調査によると、技術系新卒採用の7割以上が修士。かつては修士2年時に、学校推薦など就職先が決まるケースが多かったが、最近は、学生自らが企業のホームページに登録して選考を受けるのが主流。製薬系の9月を先頭に、各企業も優秀な学生を確保しようと、採用活動が早期化、長期化していた。

 こうした状況について大学は、大学院教育の軽視と批判。大学院の重点化で、大学の学部とは別の大学院に進む学生が増えており、東京工業大の三木千寿副学長は「大学院教育の充実に力を入れているが、就職活動で寸断され台無しになる。半年で何を身につけたと判断するのか」と改善を求める。

 経団連は批判を受け、あいまいだった倫理憲章を明確にした。大学院の採用活動について「学習環境の確保に十分留意する」としただけだったものを大学と同じように、「学事日程の尊重」を明記、「学業に専念する十分な時間を確保するため、卒業学年に達しない学生への選考活動を厳に慎む」とした。

(2007年9月27日14時33分 読売新聞)

-----------------------------------------------------------

2006年10月17日発表の経団連の倫理憲章で、学部4年生にならない学生への選考を自粛することは知られているが、「6.その他」において「大学院修士課程修了者の採用選考においても学習環境の確保に十分留意する。また高校卒業者については教育上の配慮を最優先とし、安定的な採用の確保に努める。」という「逃げ道」が用意されているのはあまり知られていない。大学院に行くのは現在では理系の方が多く、2007年7月31日時点での経団連の会長・副会長職は16名中8名が製造業の社長、または会長。2006年5月から御手洗冨士夫キヤノン会長が経団連会長を務めているので、上記の倫理憲章は御手洗現会長時に発表されたと分かる。大学院生に対し特例を設けているのは、キヤノンを含めた製造業に学生を採りたいとも思える。
上記記事では、製薬業が規制対象のように書いてある。会長・副会長職には製薬業の社長・会長は入っておらず、評議員会議長・副議長に武田薬品工業の社長が一人入っているだけ。経団連が理系修士の学業に配慮したようだが、結局は自身の企業に学生を採るために立派そうな文言を述べたにすぎない。
なお、キヤノンは修士1年生に対しての説明会を秋から開いているので、採用活動を自粛しているとはまったく思えない。

2007年9月29日土曜日

文部科学省科学技術政策研究所 「数学イノベーション」


第一章では、NISTEPの研究者が各国の数学研究を取り巻く状況を説明している。日本は数学に対して資金投下を行っていないのではないか、一方アメリカは1998年にオドム・レポートが出され数学研究振興策が打ち出された。フランス、ドイツも振興している。
ただ、日本は世界的に特殊な国民性があるらしく、「日本では数学に関する複数種の月刊誌が刊行されているが、これは他国では例のないことらしい。」。江戸時代も数学の問題が絵馬に書かれて町民が解法を競ったらしいし、現在でもインド数学がブームになっていることから、民間でも数学を楽しむ風潮は自然とあるとも私は思う。
私がこの章で好感が持てるのは、数学研究に関しての留意点である。イノベーションの達成や科学技術による社会的成果の獲得に対して「うまくいかなくなった場合でも、数学の発見などの副産物が生まれる可能性はあり、また研究者にとって数学的な試行錯誤の経験自体が後々の研究活動に有益だろう。数学研究自体には莫大な設備や施設を必要とせずそれほど大きなコストはかからないのだから、利益とリスクやコストを天秤にかければ躊躇する理由はとぼしいように思う。」。また「数学研究にも評価は必要だが、短期間での評価は逆に研究活動を萎縮させ、可能性の目をつんでしまうおそれがあることにも留意すべき」とある。
数学の人材は数学以外からも欲せられている。文部科学省も平成19年度新規戦略目標に「社会的ニーズの高い課題の解決に向けた数学/数理科学研究によるブレークスルーの探索(幅広い科学技術の研究分野と協働を軸として)」を掲げ、その戦略目標下の研究領域名は「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」である。」現場の研究者よりも行政の方が現状を見据えているという珍しい構造である。

第二章以降は、大学の数学者から、新日本製鐵や日本ユニシスなどで数学を使った研究をしている研究者から、数学がどのように使われているかという話である。この種の本にありがちな、数学は面白い、数学は役に立つ、というレベルではなく、数学がどのように使われていて、どんな人材が必要なのかという切実な願いが伝わってくる書き方である。数学は文化ではなく、経済発展、社会貢献に必要であるというこの本の意図が凝縮されている。

さて、ただの書評じゃ終わりませんて。
この「数学イノベーション」、大学事務室に送付しています。PDや学生がいそうな部屋、事務室に配架してくれとの注釈までつけて。NISTEP、大盤振る舞いですが、これは投資と考えているのでしょう。学術振興、研究振興も最近は経済観念がないとやっていけない流れです。(すべてがそれでいいとは思わないが。)