第一章では、NISTEPの研究者が各国の数学研究を取り巻く状況を説明している。日本は数学に対して資金投下を行っていないのではないか、一方アメリカは1998年にオドム・レポートが出され数学研究振興策が打ち出された。フランス、ドイツも振興している。
ただ、日本は世界的に特殊な国民性があるらしく、「日本では数学に関する複数種の月刊誌が刊行されているが、これは他国では例のないことらしい。」。江戸時代も数学の問題が絵馬に書かれて町民が解法を競ったらしいし、現在でもインド数学がブームになっていることから、民間でも数学を楽しむ風潮は自然とあるとも私は思う。
私がこの章で好感が持てるのは、数学研究に関しての留意点である。イノベーションの達成や科学技術による社会的成果の獲得に対して「うまくいかなくなった場合でも、数学の発見などの副産物が生まれる可能性はあり、また研究者にとって数学的な試行錯誤の経験自体が後々の研究活動に有益だろう。数学研究自体には莫大な設備や施設を必要とせずそれほど大きなコストはかからないのだから、利益とリスクやコストを天秤にかければ躊躇する理由はとぼしいように思う。」。また「数学研究にも評価は必要だが、短期間での評価は逆に研究活動を萎縮させ、可能性の目をつんでしまうおそれがあることにも留意すべき」とある。
数学の人材は数学以外からも欲せられている。文部科学省も平成19年度新規戦略目標に「社会的ニーズの高い課題の解決に向けた数学/数理科学研究によるブレークスルーの探索(幅広い科学技術の研究分野と協働を軸として)」を掲げ、その戦略目標下の研究領域名は「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」である。」現場の研究者よりも行政の方が現状を見据えているという珍しい構造である。
第二章以降は、大学の数学者から、新日本製鐵や日本ユニシスなどで数学を使った研究をしている研究者から、数学がどのように使われているかという話である。この種の本にありがちな、数学は面白い、数学は役に立つ、というレベルではなく、数学がどのように使われていて、どんな人材が必要なのかという切実な願いが伝わってくる書き方である。数学は文化ではなく、経済発展、社会貢献に必要であるというこの本の意図が凝縮されている。
さて、ただの書評じゃ終わりませんて。
この「数学イノベーション」、大学事務室に送付しています。PDや学生がいそうな部屋、事務室に配架してくれとの注釈までつけて。NISTEP、大盤振る舞いですが、これは投資と考えているのでしょう。学術振興、研究振興も最近は経済観念がないとやっていけない流れです。(すべてがそれでいいとは思わないが。)
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