「公害と同様に、企業活動では絶対に避けられないものであって、資本による最大限利潤の追求は、従業員の生命・身体・健康をまったく犠牲にしているのが実状である。」
公害が大きな社会問題となっていた1967年に発行された本である。水俣病、四日市喘息、白ろう病、原子力、薬害などが取り上げられている。
昔の本なので、現在の感覚とは異なるところがある。「~実状である。」と強く主張しているが、現在の製造業では「まったくの犠牲」とはなっていない。
上記引用は熊倉武の第12章「法律の限界」からである。この章は非常に根拠の不明確な断定的な記述が多く、法学者の議論は客観的ではないのかという疑念を持たざるを得ない。
また、武谷三男の最終第13章「安全性の哲学」もひどいものである。本当に科学者なのであろうかとも思うほどの、主観的な記述が多すぎる。また、「途方もなく」という印象的な記述を用いる。科学的に数値を出してほしいものである。
私がもっとも嫌悪感を抱いた部分がある。武谷は、政府や企業の経済至上主義が安全を脅かしていると主張している。そのように述べておきながら、「YS11が外国に売れる前に日本で事故が起こったのは不幸中の幸いである。外国で起こったとしたら、それこそ日本の評価はかたなしになっただろう。」とも述べている。評価によって飛行機が売れる売れないことよりも、人の命に関係する安全性の方が大事なのではないか?まったく論旨が一貫していない。
呆れ果てた。
評価:☆
(1-5で基本は2)
2010年5月12日水曜日
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