建物が揺れていた.蛍光灯の紐を見ながら,今回は多少揺れているな,なんて思っていた.
次にものすごい揺れがきた.ディスプレイが急に切れ,PC本体も電源が切れた.すぐにヘルメットをかぶりながら机の下に避難した.揺れは想像以上に長かった.
揺れがおさまったので,職場の災害係として同僚の怪我の具合を確かめた.幸い誰も怪我がないことを職場責任者に報告した.
廊下に整列して,避難した.そのときは,揺れがひどかったねなんて会話をしながら駐車場に出た.余震はまだ続いていた.
1時間以上駐車場にいながら,携帯やラジオで情報を収集していた.職場には仙台に縁がある人もいて,気が気でないようだった.
職場に戻ってよいとの指示が出された.しかし停電からは復旧しないので,帰宅してもよいとのことになった.
私は職場と自宅の距離が遠いので,途中まで同僚とタクシーで帰ろうとした.まずはバスに乗ろうとしたが,30分ほど待ってもまったく来ない.後で考えてみると,電鉄系バス会社だったので,鉄道の振替輸送にバスをあてていたのかもしれない.
駅近くまで歩くことにした.途中のコンビニは停電していて,店内は真っ暗であったが,店員さんが陳列棚を懐中電灯で照らしてくれたので,所望のものを買うことが出来た.多少の混雑はあるものも,誰もが落ち着いてきちんとお金を払って購入しているようだった.日本は絶対に大丈夫,と思った.
コンビニは停電だったのに,遠くの方は電気がついていた.商店街まで着くと,停電だったのが何かの間違いだったのかというくらい明るかった.ただ,普段よりも人が多かった.
駅に着いて,タクシーを待った.しかし行列は長く,しかもタクシーが来るような様子もないので,夕食をとることにした.中華料理屋でテレビを観ながら,日本中がとんでもないことになっていることを知った.店内の電話を貸していただき,自宅に電話をかけた.その30分後はつながらなくなっていた.
もっと大きい駅まで行ってタクシーに乗ろうとした.しかし,そこでもタクシーに乗ることはかなわず,結局歩いて帰ることにした.同僚のスマートフォンに表示してもらったグーグルマップをデジカメで撮影し,ここからは一人で帰ることにした.
徒歩で帰宅する人は思いのほか多かった.ヘルメットをかぶっている人,緊急用カバンを背負っている人もいた.私はとにかく迷わないようにまっすぐ歩いた.環八まで行けば家までの道は分かる.
環八の車の交通量はあまり混んでいなかった.4時間ほど歩き,日付が変わった頃に自宅にたどりついた.もともと今週はあまり体調がよくなかったので,風呂に入ってすぐに寝た.
翌日,テレビを観て,涙が出てきた.
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