社会[近思録治法「郷民為社会」の福地源一郎による訳語]
①人間が集まって共同生活を営む際に、人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現れる場合の、その集団。諸集団の総和から成る包括的複合体をもいう。自然的に発生したものと、利害・目的などに基づいて人為的に作られたものとがある。家族・村落・ギルド・教会・会社・政党・階級・国家などが主要な形態。
②同類の仲間。「文筆家の―の常識」
③世の中。世間。家庭や学校に対して職業人の社会をいう。
―人
①社会の一員としての個人。
②実社会で活動する人。
(『広辞苑 第四版』より引用)
わからん。社会人とは何なのだ?
以前、会社勤めの友達に大学院での活動について話したら、「仕事ばかりで視野が狭くなっている気がするよ。」と言われる。別の機会に別の友達に論文の価値についての質問を返したら、「日々の仕事だけだと知的探究心という側面では足りないのかもしれない。」と言われる。私は社会に出ると視野が学生よりもはるかに広くなり、日々の仕事から学ぶことは学生の勉強よりもはるかに質が高い(高くなくてはいけない)と思い込んでいたので、驚いた。
どうやら、「会社に入る」と「社会に出る」は同時に発生する出来事だが厳然と区別すべきことのようだ。
私は現在、国立大学法人の職員として給料を貰っているし、スーパーで買い物をして、運賃を払って電車にも乗っているので、社会の中で経済活動は行っていると思う。しかし、学生という身分の為、私は社会人にはならないらしい。
今は自活できるだけの収入はない。会社勤めをすれば殆どの人が自活できるだけの収入は得るはずだ。とすると、社会人とはある程度の所得を持つ人とも考えられる。しかし、学校の先生に対して「社会に出たことがないくせに」という言葉を投げかける時、学校で働いて収入を得ようとも、教員は社会人ではないという前提があるように思える。
大体、「実社会」という言葉もよくわからない。働いていない人間に対し「実社会に出ろ」というならば、働いていないならば実社会に出ていないと言える。実社会なんて「多くの人がいる社会」に過ぎず、つまりは多数決でどれが実社会かを決めているのに過ぎないのではないか。一般にバーチャルの世界は実社会ではないらしいが、何故実社会ではないのかがまったくもって理解できない。
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