勝間和代は「最近の私は職業を尋ねられると、「チェンジメーカーです」と答えることにして」いるそうだ。
しかし、日本経済新聞2010年2月26日夕刊2面の人事面には国土交通省社会資本整備審議会委員として「経済評論家・中央大学ビジネススクール客員教授勝間和代」と書いてある。朝日新聞2010年2月27日be9面でも「経済評論家・公認会計士」と書いてある。本人のプロフィールにもチェンジメーカーと書いていない。(日本経済新聞のプロフィールはここから取ったようである。)
一貫性がない人だな。
2010年2月28日日曜日
2010年2月27日土曜日
ドバイ
世界中のものは何でもある。
ドバイにしかないものは何がある?
看板はすべてアラビア語と英語の併記で、よほどローカルな店に入らない限り英語も通じる。タクシードライバーは全員メーターをきちんと使うので、ぼられることもない。
世界中の人が集まりやすい場所をつくったが、ドバイの文化はどこにあるのかわからなかった。野菜市場に行けば、すべて見たことがある野菜である。スーパーのお菓子ですら、外国製品である。
気になったのは、電化製品のパチものがないことだ。パチものをつくる工業力がないのだろう。工業のない国は砂上の楼閣、もしくは蜃気楼なのではないかと感じた。
ドバイにしかないものは何がある?
看板はすべてアラビア語と英語の併記で、よほどローカルな店に入らない限り英語も通じる。タクシードライバーは全員メーターをきちんと使うので、ぼられることもない。
世界中の人が集まりやすい場所をつくったが、ドバイの文化はどこにあるのかわからなかった。野菜市場に行けば、すべて見たことがある野菜である。スーパーのお菓子ですら、外国製品である。
気になったのは、電化製品のパチものがないことだ。パチものをつくる工業力がないのだろう。工業のない国は砂上の楼閣、もしくは蜃気楼なのではないかと感じた。
2010年1月23日土曜日
2010年1月22日金曜日
吉岡斉「原子力の社会史」
「原子力という言葉は少なくとも日本では、もっぱら民事利用分野をさつものと理解されることが多いのである。それは核エネルギー技術の本質的なデュアリティー(軍民両用性)の理解を鈍らせる結果をもたらす恐れがある。」
日本の原子力の歩みを、1939年の戦時中から最近(発行年は1999年)まで丁寧に丁寧に追っている本である。アクターは主に官と電力業界であり、メーカーの動きはあまり追っていない。それでも分量は足りないくらいである。
筆者は原子力に関しては、非常に否定的な立場にいる。最初に宣言しているので、読むほうとしてはわかりやすい。
日本政府は実はあまり関与しておらず、むしろできておらず、経済産業省と科学技術庁がいかに縄張り争いをし、電力業界が当初は言いなりだったが、徐々に経済的な理由から独立していく様子が描かれている。
最後には何故脱原子力なのかを説明している。
今度原子力関係のイベントに行くと同僚に行ったら、この本を貸してくれた。二回読んだ。
評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)
日本の原子力の歩みを、1939年の戦時中から最近(発行年は1999年)まで丁寧に丁寧に追っている本である。アクターは主に官と電力業界であり、メーカーの動きはあまり追っていない。それでも分量は足りないくらいである。
筆者は原子力に関しては、非常に否定的な立場にいる。最初に宣言しているので、読むほうとしてはわかりやすい。
日本政府は実はあまり関与しておらず、むしろできておらず、経済産業省と科学技術庁がいかに縄張り争いをし、電力業界が当初は言いなりだったが、徐々に経済的な理由から独立していく様子が描かれている。
最後には何故脱原子力なのかを説明している。
今度原子力関係のイベントに行くと同僚に行ったら、この本を貸してくれた。二回読んだ。
評価:☆☆☆
(1-5で基本は2)
2010年1月17日日曜日
真似されないコロンブスの卵
コロンブスの卵は初めてやった人はすごいという意味だ。しかし、やり方がわかってしまえば、誰だって真似ができる。やり方がわかっても真似ができないようなものが重要であると最近考えている。
技術単体では他人がすぐに追いついてくる。だから、技術の組み合わせで売っていった方がいい。
組み合わせでつくられるものは、技術単体よりも大きな問題を解決するだろう。とすると、将来的に有効な組み合わせをつくるには大きい立場からものを見れる必要があって、かつそれを技術単体のレベルまで落とし込めなきゃいけない。
ものをつくる、今それの修行中だけど、とてもとても楽しくてすばらしいことをやっているのだと最近いつも感じる。
技術単体では他人がすぐに追いついてくる。だから、技術の組み合わせで売っていった方がいい。
組み合わせでつくられるものは、技術単体よりも大きな問題を解決するだろう。とすると、将来的に有効な組み合わせをつくるには大きい立場からものを見れる必要があって、かつそれを技術単体のレベルまで落とし込めなきゃいけない。
ものをつくる、今それの修行中だけど、とてもとても楽しくてすばらしいことをやっているのだと最近いつも感じる。
2010年1月16日土曜日
勝間和代「結局、女はキレイが勝ち。」
いつも地味な格好であることを誇っていた勝間さんが「カツケン」で急にゴージャスな装いになっていた。どうしたことかと思っていたら、キレイが勝ちだそうです。公認会計士、経済評論家の肩書きはどこへやら、昔の勉強法の本に比べるととても中身が貧弱になった。モテる為だったり、いい男を手に入れる為だったり、目標が昔の勝間本とは全然違う。
巻頭のグラビアで勝間氏が着ている服の入手先を書いていたが、この本の主な対象は20歳代女性だろう。その人たちは勝間氏が着ているような服は似合わないのでは?マガジンハウスはこれがよいと思っているのか???
私は著者を「大学デビューして女友達にオトコにモテる方法を講義するけど、女友達はそんな当然のことはすべて知っているし、しかもみんな彼氏持ちだったというイタイ子」を出版レベルでやってしまった人、と解釈しておりますが、みなさんどう?(勝間氏のブログによれば「セミロングは七難隠す、とか、不倫のリターンは最悪とか、ぶっちゃけトーク満載です。」だそうだが、ぶっちゃけではなく、そんなの当然過ぎて誰も話さないことだろう。)
評価:☆
(1-5で基本は2)
巻頭のグラビアで勝間氏が着ている服の入手先を書いていたが、この本の主な対象は20歳代女性だろう。その人たちは勝間氏が着ているような服は似合わないのでは?マガジンハウスはこれがよいと思っているのか???
私は著者を「大学デビューして女友達にオトコにモテる方法を講義するけど、女友達はそんな当然のことはすべて知っているし、しかもみんな彼氏持ちだったというイタイ子」を出版レベルでやってしまった人、と解釈しておりますが、みなさんどう?(勝間氏のブログによれば「セミロングは七難隠す、とか、不倫のリターンは最悪とか、ぶっちゃけトーク満載です。」だそうだが、ぶっちゃけではなく、そんなの当然過ぎて誰も話さないことだろう。)
評価:☆
(1-5で基本は2)
2010年1月15日金曜日
理学と工学の違い
私は理学研究科に属していた。昔の科学哲学では「数学は科学か?」という議論をしていたくらいなので、理学部全体の雰囲気について発言を求められても正直なところ答えたくないのだが、一般概念として答える。そして、文系の人からのよくある質問として、理学と工学の違いが挙げられる。両方とも「理系」に属している。
「理学は真理の追究を求めており、そこの中だけで価値が閉じている。工学はより多くの人に役に立つことが大事と考えている。」
一般にはこの説明で間違いはないと思う。
ただ、最近はちょっとずつ変わってきている。理学でも化学の人の中には製品になるかどうかを考えている人もいて、工学だっていい製品をつくるためにものごとの原理を調べている人がいる。
つまり、私の説明は過去のイメージを引きづった発言であり、この後の注釈をわかってくれないと現状が伝わらない。しかし、初めて私の話を聞いた人は注釈まで注意がまわらないだろう。
私は現状を知っておきながら、悪いイメージの再生産を行っている。「悪い」というのは、この区分が悪いというのではなく、変わろうとしている人たちを部外者が過去の解釈を続けるためだけに抑えつけるという意味である。
もっと広く言うと、私は理学や理系の中では数学科代表、理系以外の中では数学科もしくは理系代表になってしまうのだから、発言する際は私がイメージをつくってしまう力を持ってしまっているという意識を常に持っていなくてはいけない、ということである。学問形式(ディシプリン)によって思考様式、価値観が形成されるのは否定できない。
「理学は真理の追究を求めており、そこの中だけで価値が閉じている。工学はより多くの人に役に立つことが大事と考えている。」
一般にはこの説明で間違いはないと思う。
ただ、最近はちょっとずつ変わってきている。理学でも化学の人の中には製品になるかどうかを考えている人もいて、工学だっていい製品をつくるためにものごとの原理を調べている人がいる。
つまり、私の説明は過去のイメージを引きづった発言であり、この後の注釈をわかってくれないと現状が伝わらない。しかし、初めて私の話を聞いた人は注釈まで注意がまわらないだろう。
私は現状を知っておきながら、悪いイメージの再生産を行っている。「悪い」というのは、この区分が悪いというのではなく、変わろうとしている人たちを部外者が過去の解釈を続けるためだけに抑えつけるという意味である。
もっと広く言うと、私は理学や理系の中では数学科代表、理系以外の中では数学科もしくは理系代表になってしまうのだから、発言する際は私がイメージをつくってしまう力を持ってしまっているという意識を常に持っていなくてはいけない、ということである。学問形式(ディシプリン)によって思考様式、価値観が形成されるのは否定できない。
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